2011.09.29
2011年度の後期から、芝浦工業大学デザイン工学科で非常勤講師をさせて頂くことになりました。



といっても、「プロジェクト演習」という設計の演習課題で5人いる先生のうち1人で、単独で授業を持っているわけではありません。常勤の先生4人に対して外部の設計実務者1人という位置づけで、学生が設計課題を考えるに当たってのアドバイザーのようなものだと思われます。先日、芝浦キャンパスにて初めての出講を経験しました。

出講とはいえ、初日はガイダンスとご挨拶程度。その後は先生方に引率され、学生達とともに課題の対象となる建物の見学に行って参りました。



設計課題のタイトルは「公共施設のコンバージョン」、その名の通り使われていない公共施設を転用し、デザインスクールに改築しようというものです。上はその仮想的な対象となる台東区の旧区民館。上野の近隣にあります。



区民館は既に閉鎖されてから何年も経っており、街の一角に人目を忍ぶかのようにひっそりと存在していました。



内部にはリクリエーションや集会のためのスペースが用意されています。

建物も設備も全体的に古びているものの、全く使用に耐えないレベルではありません。社会的な資本蓄積のあるヨーロッパでは過去に建てられた建物の転用は珍しいことではなく、むしろ新築よりも一般的な建築家の活動分野となっています。今後日本でも社会構造の変化に伴い、このような遊休スペースを積極的に生かす必要が生じてくることは言うまでもありません。特に今回の課題は単に建物のリノベーションをするだけでなくその事業計画にまで踏み込んでデザインを行うというもので、非常に難しい、しかし現代的な意義のある課題であると言えます。



区民館には屋上もありました。



屋上から不忍池方面を見渡した風景です。池が全面ハスで覆われているため、一見広大の緑地のよう。景観も一種の資源だと考えると、この建物には活用されていない資源が多く残されているわけで、それらをどう引き出して設計するかが課題のカギになりそうです。学生諸氏がどのようなアイディアを見せてくれるか、楽しみですね。

非常勤講師の件は今後も折りに触れて取り上げたいと考えているのですが、何しろ普段の授業風景を撮影するわけにも行かないので、どのようにブログ化出来るかはまだよく分かりません。学生の取り組みを通してこちらも何かを学び取って行きたいと考えているので、時折それらをお伝えすることが出来るといいなと思っています。

2011.09.29
 2011.09.24
話題豊富シリーズ第二弾、建築家・阿部勤さんの自邸を拝見する機会がありました。



ご存知ない方に簡単に説明を。阿部勤自邸は日本住宅建築の黄金期と言われる70年代を代表する作品の一つで、この時代の回顧企画には「住吉の長屋」「塔の家」「松川ボックス」などと並んで必ず取り上げられる著名な住宅です。今回はミサワホームAプロジェクト室のご厚意で、若い建築家に過去の名作を見る機会を提供しようという企画に声を掛けて頂きました。



上はそのプランです。十字路に面した角地に、角度を少し振ったコンクリートの箱が入れ子に配置されているだけ、という非常にシンプルな計画になっています。



内側のコンクリート箱内部の写真です。コンクリートに囲われた建物中心は居間になっていますが、三方に大きな開口があり、すぐ周囲の空間と繋がっているために狭苦しい感じは全くありません。



周囲の空間にはかなり低めの天井が張られているのですが、天井の高い空間と隣接しているせいかこちらもやはり息苦しさは全くなし。むしろ天井の低さが穴蔵のような落ち着きと居心地の良さを空間にもたらしており、ソファの低さと絶妙にマッチした不思議な安心感をつくり出しています。



低い天井は所々が吹抜けており、垂直方向の開放感と共に一階と二階の立体的なコミュニケーションが発生するように計画されています。



この住宅をさらに豊かなものにしているのが、屋外空間との接続の巧みさです。

単純な二重のコンクリート箱はしかしながら、単純に外側の箱が建物の内部と外部の境界、という具合になってはいません。プランを見るとサッシなど一部の境界面が内側の箱と外側の箱をショートカットするように配置されており、屋外空間の一部が外側コンクリート箱の内部にまで侵入して来ているのが分かります。二重のコンクリート箱という構成が誰の目にも明らかであるからこそ、それを裏切って真の内外境界を作ることで屋内と屋外の境い目があいまいになり、家の内部が屋外の緑の中に溶け込んでいるような広がりと開放感を生じさせているのだと言えるでしょう。実に興味深いアイディアです。



二階の外周はコンクリート壁から一転して、木の柱とアルミサッシによる連続窓に包まれます。ここでは衒いなく明快に配置された窓が非常に効果的に働いており、ツリーハウスのように森との一体感を楽しむことが出来ます。



その片隅に置かれたデイベッド。寸法といい位置といい、絶妙の心地よさです。阿部さんご本人に寝転がってみるよう勧めて頂いたので、失礼して皆でちょっと寛いでみました。ここで午睡から目覚める時の心持ちは格別でしょう。



最後にちょっとオマケ、阿部さんが用意して下さったハムです。豚の足一本丸々!ご本人自ら少しずつ削いでサーブして下さいました。

如何だったでしょうか。かねてから想像していた通りの素晴らしさで、一緒に見学した友人との感想会も非常に盛り上がり、とても貴重な体験となりました。シンプルで明快な構成、それにも関わらず非常に豊かで複雑な表れは、建築のひとつの理想を体現しているとも言えるのではないかと思います。私にとっては間違いなくこれまでの住宅体験のベスト3に入る作品で、今後大きな影響を受けるだろうと想像しています。

まだまだ語りたい事は多くあるのですが、既に十分説明が長くなってしまっているのでこの辺りで切り上げておきましょう。この住宅に関しては各種HPや書籍で多数取り上げられているので、関心のある方は是非それらをご覧になってみて下さい。知れば知るほど、そのシンプルな素晴らしさに感嘆することと思います。

2011.09.24
 2011.09.20
夏は地道な作業の毎日でブログの話題に苦慮していたのですが、いよいよ話題豊富な時期がやって来ました。第一弾は、三ヶ月ぶりの金沢訪問です。



越後湯沢から金沢へ至るほくほく線は、日本の米所を突っ切って走ります。9月半ばは、正に刈り入れの最盛期。いい景色が続きます。



金沢行きもこれで通算7回目。もはやちょっとしたベテランの気分になっています。例によってまちやゲストハウスに泊まり、



「第7」のホワイト餃子を食べ、



市役所に行った際には21世紀美術館に寄るという、一連の動きに迷いなし。そろそろ金沢案内でも出来るんじゃないかいう気がしてきました。



お施主様であるIさんとの打ち合わせは机の広いファミリーレストランで。Iさんご夫妻も既に打ち合わせにだいぶ慣れられたようで、プレゼンテーションは和やかに進行しました。上写真は最近の新メンバー、生後6ヶ月の息子さん。行く先々で寵愛を一身に集める可愛らしさ。



もうひとつ、今回新たに加わった新要素。何か分かるでしょうか・・。実はこれ、スケボーを割って焼いてカスガイで留めて製作した、一種のオブジェです。

以前花器についても紹介しましたが、Iさんはこういうカッコイイオブジェの類いに目がありません。この作品もスケボーの持つポップなイメージと、一方でアンティークのようなザラッとした風合いとを併せ持っており、白い壁をバックに展示したらさぞかしカッコいいだろうなと想像されます。これを展示する場所も考えないと。



今回の打ち合わせでは建物の基本的なアイディアに承認を頂いたので、いよいよこれから実施設計が始まることになります。建物の形自体はまだ改良を重ねる予定ですが、現時点でのCG画像をお見せしておきましょう。

Iさんのご要望を踏まえ、今回の住宅は重厚・静謐がテーマとなっており、これまでの作品とはかなり違ったものが出来上がりそうです。私自身にとってはチャレンジとなりそうですが、是非成功させて仕事の幅を拡げて行きたいものですね。今後の進捗を見て、またレポートしようと考えています。

2011.09.20
 2011.09.04
先日、必要があって経歴に関する書類を記入していたら、「取得した特許」について記す項目がありました。

以下はなんの役にも立たない自慢なのですが、実は特許を取得したことがあります。もう15年も前のことで、出願番号や細かい内容を記したデータはどこかに行ってしまっていたのですが、今時はネットで調べられるのではないか?と思って検索してみたところ、簡単に見つかってしまいました。



http://www.j-tokkyo.com/1999/H04L/JP11168482.shtml

特許などと言うと大層に聞こえますが、実を言うと別に大したことはありません。かつてサラリーマン時代には某大手電器会社に勤めていたのですが、所属が開発研究所だったのでたまに特許の申請をすることが求められていました。

そういうトコロなのでバックアップ体制は万全で、アイディアと基本的な書類を用意すればあとは会社の弁理士さんが手続きをしてくれます(その代わり特許とその権利は会社が保有)。そんななんちゃって特許なのですが、それでも就職一年目で最初に出した特許が成立したのはそれなりに健闘だと言えるかも知れません。まあ、ビギナーズラックというヤツだったのでしょう。



タイトルは「同報通信受信機能付きデータ受信装置」だそうです。そう言えばそんなんだった気がするなあ・・。初めての出願だったので、監修して下さった先輩の名前が先に書かれています。

肝心の内容を簡単に説明すると、「コンピュータなどの情報機器の中で、ある条件が揃った場合には情報の通り道の交通規制を無視して、大量の情報を優先的に通してやるシステム」と言ったところでしょうか。パソコンの中で東京マラソンをやる場合には他の交通を差し止めて大量のランナーを走らせる、そんなイメージで説明し、酒の席などでたまに持ちネタとして披露していました。

しかし、改めて今回文章を読んでみると、どうも違う事が書かれている気がしますね。おかしいな・・。記憶違いだったのかな?今となってはもはや内容もよく分かりません。文章は自分で書いた筈なんですが、なんだか自信がなくなってきました。

その後建築の勉強をするためすぐに退職したのでこれが最初で最後の特許となってしまいましたが、こういう特許考案みたいなのは大好きだったので、もしサラリーマンを続けていたら頑張って沢山書いていたかも知れません。アイディアが勝負という意味では現在の仕事にも相通ずるものがあり、結局自分がやりたいことはあまり変わっていないのだなと改めて認識させられました。

なお、風の噂で聞いたところによると、この特許はその後アメリカと韓国にも出願され、成立しているのだそうです。昨年の暮れには口座に6万円の突然の振込があったのですが、どうやら報奨金だったみたいですね。それにしても15年も前に辞めた人間にちゃんとお金を払うなんて、日本の会社の律儀さに驚くばかりです。この辺りはさすがと言うべきでしょう。

2011.09.04
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