2012.02.27
このたび、リビングデザインセンター OZONEにて山本卓郎建築設計事務所の個展をやらせて頂くことになりました。



OZONEは東京圏で住宅に関心のある方にはよく知られていますが、念のためご紹介。家具・建材などのショールームや書籍などを集めた住宅に関する一大複合情報センターで、一般の方の住まいに関するご相談への対応なども行っています。
http://www.ozone.co.jp/


既に展示の企画は通っているのですが、日程など詳しい内容はまだ未定の部分が多いので、それらはまたおいおいお伝えして行きたいと思います。

とりあえずタイトルは「住まいの惑星展」、来年度のどこかで二週間、OZONEのリビングデザインギャラリーを使わせて頂くことは既に決まっているので、ご関心のある方は是非続報にご注目下さい。来場されたお客さんが展示を遠巻きに眺めるだけでなく、手で触って楽しめようなものにしたいと考えています。



これまで自主企画の個展をやったことはありますが、今度のように本格的なギャラリーを使用し、かつ後援して頂いて展示を行うのは初めての経験です。来年度の活動の大きな目玉になりそうで、今からとても楽しみですね。忙しくなりそうですが、頑張って取り組もうと考えています。

2012.02.27
 2012.02.25
東日本大震災から、まもなく一年が経とうとしています。その区切りを目前に、地震後初めて被災地を訪れました。



建築に関わる人間の一人として、今回の震災から何かを学び取るため、被害の実態をこの目で見なければならないと考えていました。しかしながら目先の仕事に追われる毎日で、かつ経験を共にするべき構造設計者と都合が合わず、なかなか適当と思われるタイミングが見つかりません。ついに地震から丸一年を前にしていよいよ危機感が募り、後先は考えずともかく一人で現地へ行ってみることにしました。



当日は12時間で約500kmを回る強行軍、仙台でレンタカーを借りて松島→石巻→気仙沼→陸前高田→大船渡→釜石、そして遠野・花巻経由で仙台へ帰投しました。主に三陸海岸沿いの津波被害の大きかった場所を巡ったことになります。

被害状況については既に専門誌で勉強していたのですが、やはり現実の凄まじさは文献で知るそれとは全く異なっています。被災地を目にした誰もが言葉を失うといいますが、私も間違いなくその一人でした。

もちろん、今回経験したことの全てについてここで記すことは出来ません。ここで挙げられるのは被害のごく一部についての所感に留まるのですが、確実に一つだけ言えるのは被災地と言っても街ごとに地形・都市構造・人口密度と分布などに大きな差があり、被害の容態も復興の対策も一括りには出来ないということです。



上の写真は気仙沼中心部の様子です。全ての建物が津波の大きな被害を受けていますが、市街地でありコンクリートや鉄骨の建物が多いため、街の概形は残されています。電柱や信号が既に再建されている他、道路も既存レベルより数十センチ土盛りして新たに舗装されており、都市の骨格自体は失われていません。仮設店舗や立体駐車場などは既に稼動しており、限定的にではありますが市民の活動が再開している様子を見ることが出来ます。気仙沼の被害が小さいものだったわけでは決してないのですが、それでも復興の足がかりが見える状況は、険しい地形に囲まれた都市の性格と無関係では無さそうです。



気仙沼は細く奥行きの深い湾の深部に位置する港湾都市であり、海際一杯まで建物が林立している一方で高台も海のそばに迫っています。これら高台の建物はほぼ無傷で残されており、都市の機能のある程度は保全されていることが分かります。津波の被害は0か100かのどちらかだとよく言われますが、街道沿いには全く被害のなかった地域も広がっており、そこだけ見ていると震災は何かの夢だったかのような錯覚すら感じられてしまいます。



一方で気仙沼港よりさらに川を遡上した奥の平野部では状況は全く異なっています。



これらの土地はいわば港湾都市部の後背地で、標高は低いものの都市中心部よりずっと内陸に位置しています。が、建物がほとんど木造の住宅であったために根こそぎ津波にさらわれ、一面の荒野と化してしまっています。海岸から1kmほど内陸に入ったところにはかなり大きな船が取り残されており、この一帯の水位が相当な高さに達したことを示しています。



今回訪れた都市の中で、最も衝撃的な姿を見せたのが陸前高田でした。まだ都市の骨組みを残している他の街とは全く異なり、ここでは文字通り何もかもが失われてしまっています。



今回の津波では、広くなだらかな沿岸平野部が広範囲に渡って水没した平野型の被害と、リアス式海岸の狭い谷間において非常に高い場所まで津波が到達した峡谷型の被害の二つに大きく類型を分けることが出来ます。気仙沼は峡谷型の典型的な例であり、平野型は福島県や宮城県南部の沿岸で見られたのですが、陸前高田はこの両方の要素が悪い方向にミックスされてしまっています。つまり、周囲を山で囲まれた逃げ場のない峡谷であるにも関わらず、谷の間口が広く、平野部の勾配がなだらかであったため都市と人口が低地に集中しており、その低地が丸ごと押し流されてしまっているのです。



陸前高田には現在、電気も信号もなく、数える程の建物と道路以外にここが街であった痕跡は全く残されていません。瓦礫を積んで行き交うダンプの他には人の姿もなく、今後街がどのように再建されるのか、想像することも出来ない状態となっています。



最終的には釜石まで北上し、街ごとに少しずつ異なる様々な被害の様子を目にすることが出来ました。

釜石では気仙沼に近い峡谷型の被害が見られたのですが、工業都市という性格のせいか大型で堅牢な建物が多く、多大の被害にも関わらず構造部分の健在なものが少なからず残されていました。これはコンクリートや鉄骨を適切に用いることで津波被害から再生可能な建物が成立しうる可能性を示しており、今後の再建計画にとって明るい材料のように思われます。また、ここでは都市の心臓部である製鉄所が既に再稼動しており、再建は様々な困難を伴うものの、不可能ではないように思われました。

今回の訪問は建築家として災害に対する知見を深める為のものであり、その意味で非常に意義深いものでした。東京に帰投後早速被害報告書を再読していますが、やはり現実を見る前とでは理解に格段の違いが生じていることを感じさせられます。

一個の人間としても、非常に多くの事を考えさせられる経験となりました。気仙沼ではほんの少しの標高の差が壊滅と無傷の境い目となっているのを目の当たりにし、何故運命というものがこのように峻烈に明暗を分けねばならないのかと感じました。反対に陸前高田で見た破壊は徹底的なまでに公平な(適切な表現ではないかも知れませんが)ものであり、その理不尽で残酷な公平さもまた理解することが出来ません。

この「人々の運命は容赦なく分かたれる」一方「人々はみな平等に苦しみから逃れられない」という対立する二つの所感は東京に戻った後もまだ私の心の中に留まっており、おそらくこのまま消化されずに残るのだろうと感じています。そしてこの消化されない対立や矛盾を説明する為に、人は神という一点を仮定せずにいられないのかも知れません。

2012.02.25
 2012.02.08
絵が何枚か描きたまって来たので、HPに追加してみました。



上はボツになったI-Houseの初期案。真っ白な躯体の一部が切り欠かれ、エントツになっています。現在の案が有力になった後で,この案なら周りに何にもない敷地で建てた方がいいのでは?と思って一枚描いてみました。

その他にも何点か新しい絵をアップしたので、良かったらHPの「Works」「Drawings」を覗いてみて下さい。

http://takuroyama.jp/



上は現在のI-Houseテラス部分のスケッチ。壁の白さを強調するために曇り空にしてみたのですが、ちょっと大袈裟になってしまいました。なんだか昔のプラモの箱絵のような・・。

というわけでI-Houseは現在予算の見積もり作業が大詰め、そろそろプレゼンテーション用に絵を描くこともなくなりそうです。工事が始まれば、あとは一日も早く実物を完成させるのみ。例年にもまして春が待ち遠しい今日この頃です。

2012.02.08
Top